碁盤を囲んで

詩の碁の言いつつ、笑いを求め、碁友と遊ぶ日々。

したいことが、欲しいわ。

 「じぶん、新発見。」、「不思議、大好き。」、「おいしい生活」・・・80年代、糸井重里による一連のSEIBU企業広告は、時代を批評しつつ牽引した。

 

>「欲しいものが、欲しいわ。」

 

これも印象深い。広告に唆され、流行に乗せられ、たくさんのモノを手に入れた。だけど、私が本当に欲しいものって? 商品を売りこむコピーが、飽和の自白を演じつつ、「あなたの好きは何ですか?」と問うている。

 

したいことが、欲しいわ。

 

初級教室で、女性が「目的がわからない」と訴えた。星目置いた序盤で、考える手がかりが乏しいと感じたようだ。宿題の詰碁は問題図のみの仕様。虚心で眺め、発想してもらう意図だ。ところが、「何したらええのか、書いてくれはりませんか?」と京都育ちの方に言われ、’生きまひょ’、’粘りましょか’、’要石はどちらさんでしょ?’ などと添えるようにした。本音を伝えてくれる人は、ありがたい。とりくみ易くなり、答案を出す人は増えた。

 

将棋は玉を詰める唯一の目的に向かって着手する。囲碁は相手より多い地が最終目的だが、そこへ至る道筋は見えにくい。初心者が19路盤を見ると、茫漠さによる戸惑いが露わになる。初心者は「したいこと」こそが欲しい。あの頃の私も、「石の影」をぼんやりと見つめていた。

 

このコピーは、囲碁を知らない人の目に触れると、盤外の意味を醸しだす。”日々、命の時間を費やすべき対象は何か?” という問いだ。読み手の状況しだいで言葉の意味が変容する仕掛けは、愉しい。かくしてこのコピーは、一般客の利用するエレベーターホールに掲げることになった。

 

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