碁盤を囲んで

詩の碁の言いつつ、笑いを求め、碁友と遊ぶ日々。

打ちウサギ

♪ 打ちウサギ

浜名湖からの帰路、新幹線でスピッツの『CYCLE HIT 2006-2017』を聴いた。総武線に乗り換え、CDプレーヤーを入れたザックを網棚に載せ、ドア脇に立って聴いていたら、14曲目の「歌ウサギ」がシングル・リピートになってしまい、そのまま30聞き続けることに。イヤホンを着けたまま、翌朝の囲碁講義の枕について頭で転がしているうち、

♬何かを探して何処かへ行こうとか~

そんなどうでもいい歌ではなく~

の部分が、星打ちの極意ではなかろうか、と思い至った。モチーフを絶句に仕立てるため、三々、小目、目外し、高目それぞれの着意を表す歌詞は?と探し始めたもの、すぐには揃わずに帰宅。湯船に浸かっても「歌ウサギ」が鳴り続けていた。

‥この曲は二人の世界、向き合っているというより、並んで同じ方向を見ている‥‥ ペア碁。。

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元の歌詞にペア碁の情景を重ねながら、母音を合わせていく。

こんなカス石抱えたまんまでも 何故か僕たちは
ウサギみたいに弾んで
「あ、そっち」ばっか ペア碁で不安げに固まった君が
華やかにポカりそうで

つきあい始めた頃の二人は、無邪気と不安が交錯する。傍目にはつまらないことにも心は躍る碁で「抱える」といえば、シチョウなど石取りの筋にあたる。碁は「こっちもそっちも」読んで、見合いを紡いで打っていくはずが、「こっち」しか読んでいないのに、パートナーの思いがけぬ「そっち」の一手を見るたび、噛み合わない感触がつぶやきに滲む。

 

いま縋るのさ ひどく無様だけど
躓いたのは 空々しい奈落 地味に 繋いだから

序盤から相手に屈服するさま。「輝いたのは」→「躓いたのは」。元詞の「清々しい堕落」は形容詞と名詞の呼応に違和感を誘う連結で、曲中ひときわ印象深い。2回歌われるが、最初は、「空々しい奈落」で受けた。

 

どんだけ修正加えてみても 二段にはならない
勘に依存した迷い子
三三潜って色々荒らして ほぼ黒模様に
残されてた妙法で

ペア碁は、ペアの棋力を合算して相手ペアと比べ、手合割が決まる。一行目は「美談」→「二段」でスッキリと。地を稼ぎ、相手をアマす作戦。「散々」→「三三」。元詞の「モノクロ」自体が碁のイメージ、「ほぼ黒」を充てた。「方法」→「妙法」。

 

いま揺らぐのさ 裾が閉まらなくて
破れそうだよ ハマグリ色の柵 君と 鬱になる

思惑が揺らぐ。白地が思うように囲いきれず、焦る二人。

 

「何かを探して何処かへ行こう」とか
そんなどうでもいい宇宙ではなく
君の耳たぶが振れた勘定だけを 信じ続ける

星打ちといえば武宮宇宙流。この一節がすべての始まり。相手とのやりとりのなかで、互いの地が定まっていくのだから、意図、意向をもたないほうが良いというパラドックス。「感情」は地合いの「勘定」いかんによる。ウサギの目算は、耳たぶを振るわせて数えるという妄想。

いま凌ぐのさ 既読辿るんだけど
輝いたのは 清々しい洒脱 眼と眼 繋いだから

シノギはすでにヨんである。2回目の「清々しい堕落」は「清々しい洒脱」に。生きるためだけに、淡々と。石もヒトも繋がって強くなる。

 

セキとか生きとか手抜く意味とか
叫べるほど自由もなく
さっき君がくれたボヤキを食べて 支え続ける

ペア間で会話は出来ないルール。

こんな逆コミ抱えたまんまでも何故か僕たちは
ウサギみたいに弾んで
望外ばっかのワカレ 自慢げに固まった白地が
鮮やかに残りそうで

弾む二兎。攻めさせて得をする、アマシの真髄。

 

♬打ちウサギ(重母音率84%)

背景は、天竜浜名湖鉄道気賀駅南、都田川下流桜堤付近。